「熟練者が長年かけて身につけた加工技術も、AIが学習すれば誰でも再現できるようになるのだろうか?」
「これまで自社の強みだった技術が、AIによって他社にも広がってしまうのでは?」
生成AIや製造業向けAI技術の進化によって、こうした疑問が現実的な経営課題になりつつあります。
しかし、製造業の競争力は、熟練者が知っている加工条件や作業手順だけで決まるのでしょうか。
2026年10月に開催された工作機械の国際展示会「JIMTOF2026」では、この問題を考える興味深い議論が行われました。
重要なのは、熟練者の経験を一度データ化して終わるのではなく、新しい経験を蓄積し、改善し続けられる仕組みを構築することです。
今回は、ヤマザキマザックのセミナーで語られた内容を紹介しながら、中小製造業が今から取り組める技能伝承とAI活用の方法を解説します。
JIMTOF2026で議論された「製造業の秘伝のタレ」とは?
2026年10月26日から31日にかけて、東京ビッグサイトで「JIMTOF2026(第33回日本国際工作機械見本市)」が開催されました。
ヤマザキマザックのブースでは、「製造業の『秘伝のタレ』はどこにあるのか?」をテーマとするセミナーが行われました。
登壇したのは、政策研究大学院大学の特任教授である西垣淳子氏と、ヤマザキマザックの上席執行役員で商品開発本部副本部長を務める澤田洋祐氏です。
2026年11月4日、製造業向け専門メディア「MONOist」が、このセミナーの内容を報じています。
そこで議論されたのが、AI時代の製造業における競争力の源泉です。
従来、製造業では熟練者が持つ加工ノウハウや経験が、企業の重要な競争力となってきました。
しかし、AIがこうした知識を学習して加工方法を提案できるようになった場合、それまでの競争優位性はどう変わるのでしょうか。
セミナーでは、単にノウハウをデータとして持つことだけでなく、実際の作業から学習し、次の作業へ活用する仕組みの重要性が示されました。
参考:MONOist「製造業の『秘伝のタレ』はAIに奪われるのか、競争力の源泉はどこにある?」(2026年11月4日)
熟練者の「暗黙知」は、データにすれば再現できるのか?
製造現場には、長年の経験から身についた知識や判断が数多く存在します。
例えば、金属加工の現場です。
熟練者は、加工する材料や設備の状態、工具の摩耗状況などを確認しながら、切削条件を調整します。
設備の音や加工面の状態から異常に気づき、条件を変更する場合もあります。
こうした経験に基づく知識は「暗黙知」と呼ばれます。
暗黙知とは、本人は理解していても、文章や数値だけでは説明しにくい知識のことです。
一方、作業手順書や標準加工条件など、ほかの人にも共有できる形で表現された知識は「形式知」と呼ばれます。
最終的な加工条件だけでは、判断の理由がわからない
例えば、ある部品を加工する際、熟練者が最終的に回転数を変更したとします。
作業記録に「回転数を変更した」とだけ残っていた場合、その条件はわかっても、なぜ変更したのかはわかりません。
ところが、次のような情報も記録されていればどうでしょうか。
- 加工前にどのような問題が発生していたか
- 材料や工具、設備はどのような状態だったか
- どのような理由で条件を変更したか
- 変更後に品質や加工時間がどう変化したか
- その経験を次の加工にどう生かしたか
こうした情報が蓄積されれば、単なる加工条件の一覧ではなく、判断の経緯まで確認できるようになります。
もちろん、すべての暗黙知を文章や数値に変換できるとは限りません。
しかし、熟練者の判断理由や試行錯誤を記録することは、知識を組織で共有するための重要な一歩になります。
DX担当 ちゃま男先輩!ベテランの人が設定した数値を全部記録すれば、AIでも同じ加工ができるようになるんですか?
ちゃま男の先輩そこまで単純ではないよ。同じ数値でも、材料や工具、設備の状態が違えば結果が変わることがあるんだ。
DX担当 ちゃま男じゃあ、数値だけじゃなくて、その条件を選んだ理由も必要なんですね!
ちゃま男の先輩そうだね。成功した条件だけでなく、失敗や変更の履歴も、次に判断するときの大切な材料になるんだよ。
HILLTOPの事例に見る、競争力を生み出す「学習する工場」
今回のセミナーでは、京都府宇治市の製造企業HILLTOPの取り組みが紹介されました。
MONOistの取材記事によると、同社は長年にわたり、加工経験を次の仕事へ活用できる仕組みを築いてきました。
特徴的なのは、AIを導入すること自体を出発点としていないことです。
繰り返し行う作業を仕組み化し、人が新しいことへ挑戦できる環境を整える。そのための手段として、デジタル技術やAIを活用するという考え方です。
つまり、価値があるのは過去に蓄積されたデータだけではありません。
新しい仕事に挑戦し、その経験を記録し、次の改善へ活用するという循環そのものが競争力を支えていると考えられます。
参考:MONOist「『秘伝のタレ』はデータではない――HILLTOPが40年かけて築いた『学習する工場』」
製造業の競争力を生み出す4つの循環
ここまでの考え方を、中小製造業でも取り組みやすい形に整理すると、次のようになります。

- 現場で判断・作業する: 加工条件、設備の状態、判断理由を確認する。
- 経験を記録・蓄積する: 成功例だけでなく、失敗や改善の履歴も残す。
- データを分析・活用する: 過去の経験から傾向を把握し、必要に応じてAIによる提案を検討する。
- 現場で検証・改善する: 提案の安全性や品質を確認し、次の仕事に反映する。
この循環を継続することで、経験を一人の熟練者だけが持つ状態から、企業全体で活用できる状態へ近づけていきます。
ただし、記録したデータが必ずAIの学習に利用できるとは限りません。分析目的に合ったデータ品質と、十分な検証が必要です。
ヤマザキマザックも、工場固有のAI開発を進めている
今回のセミナーで注目したいのが、ヤマザキマザックによるAI活用の方向性です。
2026年10月16日、ABEJAはヤマザキマザックとの業務連携と、製造現場におけるフィジカルAIの共同開発開始を発表しました。
ヤマザキマザックも10月19日に業務連携を公式発表しています。
フィジカルAIとは、周囲の状況を認識・判断し、ロボットや設備など実際の物理的な作業に関わるAI技術のことです。
今回の共同開発では、主に次の領域が対象となっています。
| 開発領域 | 目指していること |
|---|---|
| 加工工程の設計 | 加工順序や切削条件などの策定・提案を支援 |
| 生産スケジュール | 在庫や設備稼働状況を踏まえた計画の最適化 |
| ロボット行動学習 | ロボットや搬送装置の自律動作に向けた学習環境の構築 |
重要なのは、顧客企業ごとの設備や運用状況、製造ノウハウに適応するAIの開発を目指していることです。
同じ製品を加工する場合でも、使用する機械や工具、材料、工程、作業環境が異なれば、適した条件も変わる可能性があります。
そのため、企業ごとのデータを使ってAIを改善する仕組みが検討されています。
ただし、これらは共同開発中の技術です。すでに一般向けに完成したAI製品として利用できるという意味ではありません。
参考:
AIによって製造業の競争力は失われるのか?
AIの進化によって、これまで熟練者にしかできなかった作業の一部が、標準化・自動化される可能性があります。
その結果、特定の作業方法だけに依存した競争優位性は、維持しにくくなるかもしれません。
一方、だからといって製造業のノウハウがすべて無価値になるわけではありません。
企業ごとに異なる設備や製品、顧客要求、品質基準などを理解し、改善を続ける力も重要だからです。
ここで、競争力を2つの視点から考えてみましょう。
① これまで培ってきた技術やノウハウ
長年の経験によって蓄積された加工条件や作業手順、品質管理方法などです。
こうした技術は、現在の事業を支える重要な資産です。
② 新しい技術やノウハウを生み出し続ける力
新しい材料や設備、加工方法に対応し、その経験を次の仕事へ反映する仕組みです。
例えば、新しい材料を加工する際に不良が発生しても、その原因や対策を記録しておけば、同じ問題への対応を改善できます。
AIの進化によって技術の標準化が進んでも、こうした継続的な改善能力は企業の競争力を支える可能性があります。
DX担当 ちゃま男先輩、AIが加工条件を提案できるようになったら、どの会社も同じ品質の製品を作れるようになるんでしょうか?
ちゃま男の先輩AIが使えることと、同じ品質を安定して実現できることは別だよ。設備や工程、品質管理の仕組みも関係するからね。
DX担当 ちゃま男ということは、AIを持っているかどうかだけで競争力が決まるわけではないんですね!
ちゃま男の先輩そのとおり。AIを使いながら現場の経験を学び続け、改善につなげられるかどうかが重要になってくるんだ。
中小製造業にとって重要な「ノウハウのデータ化」
では、中小製造業では何から取り組めばよいのでしょうか。
最初から高度なAIを導入する必要はありません。
まずは、現在の業務でどのような経験や判断が記録されているかを確認することが重要です。
例えば、金属加工業であれば次のような情報が考えられます。
| 記録する情報 | 具体例 |
|---|---|
| 加工対象 | 製品番号・材料・ロット |
| 使用設備 | 工作機械・工具・設備状態 |
| 加工条件 | 回転数・送り速度・加工順序 |
| 発生した問題 | 寸法不良・工具摩耗・加工面の異常 |
| 作業者の判断 | なぜ条件を変更したか |
| 改善結果 | 品質・加工時間・不良件数の変化 |
特に意識したいのが、判断した理由と変更後の結果です。
同じ失敗を繰り返さないためにも、成功した記録だけでなく、問題が発生したときの情報を残すことが重要です。
食品製造業や設備保全でも考え方は同じ
例えば、食品工場では原材料の状態や製造環境に応じて、現場責任者が作業方法を調整することがあります。
その際、変更した理由や品質結果を記録しておけば、品質の安定化や作業標準の見直しに役立つ可能性があります。
また、設備保全では、異常が発生したときの設備状態、原因、処置内容、その後の稼働状況などを記録することで、類似トラブルへの対応に役立てられます。
ただし、品質・安全に関わる作業では、承認された作業標準や管理基準を優先し、変更内容を適切に管理する必要があります。
「AIに技術を奪われるリスク」と「機密情報の流出」は別の問題
もう一つ、経営者が注意したい点があります。
それは、AIによってノウハウが一般化する問題と、自社の機密情報が外部へ流出する問題は異なるということです。
例えば、企業の加工条件や図面、顧客情報などを外部のAIサービスへ入力する場合、サービスの契約や設定によってデータの取り扱いが異なります。
そのため、次のような点を確認する必要があります。
- 入力した情報がどのような目的で利用されるか
- AIモデルの学習に利用されるか
- データの保存場所や保存期間
- 他社・第三者への提供やアクセス範囲
- 契約終了時にデータをどう扱うか
- ノウハウや成果物の権利関係
製造ノウハウには営業秘密として管理すべき情報も含まれます。
社外のAIに入力する際は、社内規程や取引先との契約、提供元の利用条件を確認しましょう。
参考:経済産業省・総務省「AI事業者ガイドライン 第1.2版」
中小企業は何をすべきか?今から始める4つの対策
STEP1:熟練者の判断に依存している業務を洗い出す【最優先】
まずは、特定の担当者しか対応できない業務を確認します。
例えば、加工条件の調整、品質の最終判定、設備異常への対応などです。
その中から、改善効果が期待でき、記録しやすい業務を1つ選びましょう。
STEP2:結果だけでなく、判断理由を記録する
現在の作業日報や設備点検表に、必要に応じて判断理由や変更内容を記録する項目を追加します。
ただし、現場の入力負担を増やしすぎないことも重要です。
例えば、頻繁に発生する問題は選択式にし、詳細な理由が必要なときだけ自由記述にする方法もあります。
STEP3:記録を検索・分析できる状態にする
紙の帳票や担当者ごとのExcelに分散している情報を整理します。
例えば、製品番号、設備番号、作業日、問題内容などを統一して管理できれば、過去の類似事例を探しやすくなります。
まずは集計表やグラフによる傾向分析から始めても構いません。
必ずしも、この段階で生成AIを導入する必要はありません。
STEP4:小さく分析し、現場で改善効果を検証する
記録が蓄積されたら、不良発生の原因分析や類似トラブルの検索などに活用します。
必要に応じて、AIによる知識検索や条件の提案なども検討できます。
ただし、AIが示した結果は、現場の担当者が妥当性を確認することが重要です。
特に設備制御や安全性に関係する判断では、十分な検証と適切な安全対策が必要です。
現場の経験をデータとして残すことが、AI活用の第一歩
熟練者の判断や作業結果を組織の知識として蓄積するには、日常業務の記録方法も重要です。
例えば、紙の製造日報や設備点検表を電子化し、必要な情報を継続的に蓄積することが考えられます。
ラック・インターナショナル株式会社では、i-Reporterを活用した製造日報、品質検査、設備点検などの帳票電子化を支援しています。
なお、帳票の電子化だけでAIによる判断や学習が実現するわけではありません。
目的に応じたデータ整理や分析、AIシステムとの連携などを別途検討する必要があります。
まとめ|製造業の競争力は「知識を持つこと」から「学び続ける仕組み」へ
AI技術の進化によって、熟練者の経験に依存していた作業の一部が、再現・標準化される可能性があります。
しかし、それによって製造業の競争力がすべて失われるわけではありません。
重要なのは、次の4点です。
- 熟練者の経験や判断理由を記録する
- 成功だけでなく失敗や改善履歴も蓄積する
- 蓄積した情報を組織全体で活用する
- 新しい経験を次の改善へつなげる
AI時代に重要になるのは、過去のノウハウを守ることだけではありません。
新しいノウハウを生み出し、それを組織として学び続ける能力を高めることです。
まずは、社内で特定の熟練者にしか判断できない業務を1つ選び、「なぜその判断をしたのか」を記録できる状態にすることから始めてみてください。
それが、将来のAI活用にもつながる第一歩になります。
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参考資料
- MONOist「製造業の『秘伝のタレ』はAIに奪われるのか、競争力の源泉はどこにある?」(2026年11月4日)
- MONOist「『秘伝のタレ』はデータではない――HILLTOPが40年かけて築いた『学習する工場』」
- ABEJA「ヤマザキマザックと製造現場のフィジカルAI実装に向けた業務連携を開始」
- ヤマザキマザック「株式会社ABEJAとの業務連携について」
- 経済産業省・総務省「AI事業者ガイドライン 第1.2版」
※本記事は2026年11月6日時点の公開情報に基づき、ラック・インターナショナル株式会社が独自に解説したものです。紹介した企業の技術や共同開発の内容と、中小製造業向けの一般的な活用例は区別しています。

